不器用リカコの書きたい人生

20代リカコが書きたいことを書きたいままに書くだけのブログです。

好き

わたしは好きがたくさんある。

自分の本名、自分が書く文、大森靖子さん、お笑い、余裕のある電車での読書、過ごしやすい気候の中の散歩、新しいこと、知らない場所に行くこと、R1ヨーグルト、お金、人の車に乗ること、ラジオ、ピンク色、お気に入りのワンピ、可愛いと出会うこと、餃子、ベース、星見ること、子ども、花、チロルチョコの包装紙、まあなんか色々ある。

 

100人が嫌いって言ってもわたしが好きならそれはわたしの好きだし、1万人が好きでもわたしが好きにならないものはわたしの好きではない。

 

好きの定義は人それぞれで99.99999%の一致でも100%それが一致することは無いと思う。だって全く違う人間で違う脳みそで考えて違う心とカラダで感じてるわけだから。

 

だからね、自分の好きの定義で人の好きを勝手に当てはめないで欲しいわけ。

わたしはわたしの好きをわたしだけの感じ方でしてるの。

 

あと好きの中にもここは好きじゃ無いがあったっていいよね。

 

わたしの話し方とかは自分の価値観押し付けてるように聞こえやすいから気をつけてはいるけどもし傷つけてしまってる人がいたならごめんね。

 

〇〇さん好きです=恋人にしたい

の脳みその人はその面においては一生分かり合えないなって思う。

別に思うのは勝手だしあなたはそれでもいいけどそのあなたの価値観でわたしの好きを一辺倒な見方されるとすごく嫌な気持ちになる。

100歩譲って思われるだけならいい。だけどこういう人に限って、わたしじゃなくてそいつのフィルターを通してわたしの好きな対象に伝えられる。それって本当に悲しい。勝手に伝えられて勝手に勘違いされて勝手にわたし自身の見方を変えられる。まあ、だいたいわたしが好きになる対象は他人のフィルターを通して伝わってしまったことを鵜呑みにしない相手が多いけど。

 

この話は深掘りしてしまうと恋愛観の話につながってしまうのだけれど、別に今はその話がしたいわけでは無いからおわりにする。

 

理解しろとは思わない。ただ自分と他人は違うんだっていう認識は忘れないで欲しい。で、理解できないものは否定じゃなくてほっといて欲しい。そうすれば孤独感はあったとしてもだれも無駄な傷はおわないと思う。わたしは。

 

好きの話おわり。