不器用リカコの書きたい人生

20代リカコが書きたいことを書きたいままに書くだけのブログです。

さみしい

久しぶりに日記じゃないわたしの文を書きたくなったので綴ってみます☺︎

 

今までずっとさみしかった。

物心ついた時から可愛い子しか乙姫になれなくて、わたしは鯛やヒラメで、彼女はわたしが好きだった浦島太郎と夢の中で一緒になれるのに鯛やヒラメのわたしは夢の中でも本にも文章化されず挿絵として描かれた、先生たちがみんなが輝けるように考えてくれたオレンジ色のフリフリ衣装のお魚だった。

 

ゆか先生もかよ先生もわたしに優しかった。

特にゆか先生はすごく可愛がってくれてたと思う。ゆか先生はわたしが上手に書けたレモンに顔を付け足して「リカコちゃん!」と言って笑った。わたしは大泣きした。レモンのあの絶妙な線はいつだって描けるものじゃないのに、先生は勝手にわたしのレモンに顔を書いだ挙句、それを私と呼んだ。とにかく泣いた。

今は思う、先生ごめんね、先生が付け足したイラストはきっと岡レモンみたいな○○レモン(リカコより本名を入れた方が可愛いからあえて○○)でとっても可愛かった。ママがお仕事で朝早くて、本来は預からない時間に事務所で預かり保育してくれてありがとう。ゆか先生元気ですか?

 

小学校くらいから自我がしっかりしだすと好きな人に好きになってもらえない自分はなんか変なのかなと思い始めた。でもまだ漫画の世界に浸ってる方が楽しかったから別に良かった。ロードオブザリングレゴラスと本気で結婚するつもりだった。エルフになって300歳くらいまで生きたい。

 

中学生になって体質的にぽちゃぽちゃしてる自分が嫌だった。ビスコだけで生活した。お弁当も友達にあげた。走った。筋トレをした。お母さんがよそったご飯をすごい剣幕でお釜に戻した。ガリガリになったのに痩せられなかった。生理もとまったし体重も落ちたのに鏡の向こう側の私はまだデブだった。サイレンが鳴り響く学校が嫌いだった。みんなバカだと思ってた。運動は苦手だから真面目をアピールするために生理が止まってプールに欠席しないことは好都合だった。受験するときの成績は美術以外オール5だった。美術の先生は卒業の時に5をつけた。それじゃ受験に意味ないことを知っていたと思っている、今でも。多分あんまり私のことが好きじゃなかったんだと思う。美術以外オール5の内申が出た時嬉しくて泣いた。多分クラスメイトには疎まれてたしはひかれてたと思う。でもねねちゃんは一緒に泣いてくれた。当時は中2まで2人でべったりだったのに彼女が彼氏ができたり私の知らない色んなバンドが好きになって別の友達がたくさんできてさみしかった。他にも仲良くしてくれてた友達はいたけど、みんな私は五番目くらいに仲良しなクラスメイトくらいのレベルだから体育とか1人で着替えた。思い出してかわいそうになってちょっと涙出てきたからやめる。中学はゆーふぉと出会えたくらいしか私の中に良さが見出せない、わけでもないけどアルバムは破って捨てた。

 

高校はさみしくなかった。

モテない可愛くないことが武器になった。クラスにとんでもない男がいたけど彼がいたからわたしは他クラスの人と仲良くなれた。今覚えてくれてるかは別にして。女子的生活のミニーさんみたいだった。移動教室から戻ってきたらロッカーの扉が無くなってて先生に怒られてムカついたから彼らの扉も奪い取って一緒に怒られたりした笑

一応言っておくけれどリカコはそこそこ偏差値の高い共学の女子生徒である。まあ下から数えた方が早いかもしれないけど笑

 

大学になっても恋愛に発展することは何もなかった。一浪してあと少しで20歳。焦った。

いっぱい出会いの場に行った。街コン、合コン、出会い系、その他ネットコンテンツ。あとはバイトとかボランティアで出会った男性とデートしたり。たくさんの人と出会った。女の子に限って言えば今でも遊んでくれる友人がたくさんできた。行動力サイコー!当時のリカコようやった!なよなよ男の子に説教して泣かしたこともあるし、合コンでお金騙し取られたこともあるし、ネパールの方とご飯いったこともあるし、笑ったり怒ったり泣いたり、たくさんの感情が生まれて楽しかった。でも、埋まらなかった。だってわたしにはできなかった、絶対的な恋人という存在が。それで無理やり心の隙間に入ってみた。体の温もりは麻薬と同じだけど薬は投与してないと欲しくなる苦しくなる。依存だった。恋愛ではなかった。

 

社会人になって新しい薬を手に入れようと思っても抗体ができたのか依存しなかった。"想い出づくり"と揶揄してみても一瞬の笑い話にしかならなかった。

 

ひとり暮らしを始めて、さみしくなくなった。

ひとりは自由だ。土日しかない休みに誰かのために定期的に時間を使ったりするのかあと思うようになった。さっき気がついたことだけど、わたしは家の中に動くものが存在してると永遠に話し続ける。人が存在してるのに無意識に無言が耐えられないのだと気がついた。だからひとりの時間がないと無理なんだと思う。身内とか親しいとか関係なく誰かが視界に入ると態度は違えど気を遣う。それがけっこうストレスなのだ。でも結婚はしてみたい。

 

後半は余談だが「さみしい」という感情は私にとって不幸な感情だと思っていた。

でも最近、転勤の話が出たときにカンナちゃん(旧ナナちゃん笑)が『リカコちゃんいなくなったらさみしい』と言ってくれた。

来期から座席が変わるので目の前の先輩と席が離れてしまう。先輩は本当に残念そうな表情で『さみしいよ〜』と言ってくれた。

 

そのときわたしは『うれしい』と思った。

『さみしい』と思ってもらえること即ちその人の中にわたしが存在していた証だと思った。

そのあと記憶から薄れて『さみしい』を忘れられてもその瞬間はちゃんとわたしの存在がその方々の中にあったと実感できてすごく満足した気持ちになった。

 

そうか。『さみしい』と思うこと思われることは何かの存在を感じたり大切にして生きてる証なんだ。

 

そう考えるとわたしはこの最高ひとり暮らしの中に『さみしい』を見出せたらまた別の人生の楽しみを感じられるようになる、かもしれない( ˊ̱˂˃ˋ̱ )