迫りくるもの
2019年8月。
わたしは実家を出た。
母はたくさんわたしに食べ物を持たせてくれた。
そのほとんどを1ヶ月もしないうちに食べ尽くし、家族もわたし自身も想像していなかったくらい料理を意外としている。混ぜて炒める系はもらった以来ほぼ買わない。だいたい調味料でそれっぽい味になる。たまに失敗もするがそれもまた一興。一人暮らしの醍醐味である。
そうやって思えばもうすぐ一年。わたしはもらったものを全て使い切った、はずだった。
ただひとつを除いて。
"ソレ"はわたしのお気に入りの調味料収納引き出しにひっそりと息を潜めていた。
いや、正しくはわたしという巨大な敵によって奥へと追いやられていたのである。
そう!わたしの弁当は基本米の上に一品丼ぶりにされるため、卵は使えど「卵焼き」は登場しないのである。
だがしかし。どんなものにも永遠はない。
この世に存在するあらゆるものには終わりがある。そう、このふっくら卵焼きだしも例外ではないのだ。
な、なんだと!!?
別れとは常に突然とはよく言ったものだが、こんなにも近くに迫りきているとはっ!!?
わたしは急いで普段使わない弁当箱を出して、フライパンと卵を用意した。
フライパンと弁当箱の写真を取らないところに詰めの甘さを感じる。
しかし、事は一刻を争うのだ。
そんなことにかまっている暇はないっ!!!
さらに完成した卵焼きの写真を撮り忘れているところに詰めの甘さどころか憤りさえ感じるが、甘かったのは詰めではなく完成しただしのはいったふっくら卵焼きであった。
死があるから生が尊い。
終わりがあるから休みがたのしい。
別れがあるから出会いが美しい。
賞味期限ないし消費期限があるから味わい深い。
・・・・・誰かこのだしの大量消費方法を教えてくださあああああああああああ🥚🐣🐥🐓🍗🍳あああいっ!!!!!!www
明日の弁当は珍しく卵焼き入り(ᯅ̈ )
お🥚わ🥚り🍳