初めて若林さんをハッキリと好きになったのは
都心の中の本棚の向こう側にひっそりとある隠れ家のような図書館で『ナナメの夕暮れ』を手に取った時だった。
何故あの時、数ある本の中から若林さんの本を読もうと思ったのか、よく覚えていない。
ただ、共感といつもいつも感じる言語化できない感情がそこにはわたしの知っている言葉で表現されていた。
わたしは大森さんが18.9の時からずっと好きだ。
彼女の曲は、言葉は、誰にも理解されない(とわたしは感じている)感情や気持ちを言語化していて見える化されたそれらの感情に触れた私たちはああわたしってそうだったんだとやっと理解させてもらえたりしてる。
そういう感情をダイレクトに感じさせてくれる文章にあったのはそれ以来だったのですごく感動した。
そこに書いてあったことたくさん心と携帯にメモした。
そして数年が経ってわたしは仕事をし始めていてあの時よりも感傷的になることが減った。
それを安定ともいうしつまらないともいう。
それでも時折訪れる情緒の波はわたしがこの世で呼吸をする権利を問うてきた。そういう時、人と交わらないことは底無し沼の闇に沈んでいくわたしへの唯一の命綱になっている時があった。世の中はそれを嘆いていたけど、わたしは復活するための貴重な時間だった。
この頃から何故かオードリーのラジオを聴き始めた。『ナナメの夕暮れ』を読んでからラジオを聴こうとしたけれど、若林さんの甲高い笑い声が悪魔みたいで怖くて聞くのを辞めた。
でもこの時聴き始めたらスッと入ってきた。もちろん面白いし、そして何より若林さんの考え方とか言葉がスンと腑に落ちて、言語化できない感情がスルスルと引っ張られて流れていった。
そういうわけで一度読んだ本は基本的に手元に置いておかないわたしがもう一度読むべく『ナナメの夕暮れ』を購入した。
そしてこの時より前の若林さんの言葉に触れたくなって購入したのが『社会人大学人見知り学部』
感想前に彼のエッセイの一記事分の文字数を費やしてしまったので終わる。
というか思うことが多すぎて一記事ずつ感想書いていけばよかったと思ってる。
でも読んだことを残したかったからひとまず記録。
本棚のスペースがまた必要そうです。