偽装死で別の人生を生きる
2020年10月29日 わたしは死んだ。
じゃあ今これを書いているお前は誰なんだという野暮や質問はしないでおくんなせえ。
その周辺の記事を読んでください、なんて生意気なことも言いません。
でも、日々消耗して立ち直りから次の苦しみまでのスパンが短くなっていく精神状態に耐えられなくなってこれまでの罪悪感も悲しみも辛さも全部故人に押し付けて殺してしまおう。
そして明日から全て精算して別の人格として生きよう、とまあ簡潔にいうとそんな感じです。
死ぬ前だか死んだあとだか忘れましたが、自分を死んだことにして人生をリセットする、という思考を持っている人がいるのか気になってネットで調べたところこんな記事に辿り着きました。
いざとなったらコレがある?『偽装死で別の人生を生きる』 - HONZ
結論から言うとわたしは死亡偽装なんて大それたことをしたいわけでも死んでいることを自分以外に知って欲しいわけではなくて(友人にわたしは死にましたと言ったのは生意気にもわたしのものさしで友人を選別しようという心理が働いたのでしょうが、人々の中から自分の存在を消したかったわけではない、死ぬ前はみんなの記憶から消えたいって思う時期もあったけど)、不本意な書き方をすると『心機一転、気持ちを切り替えて明日から生きるぞ』みたいに決意して昨日までの自分を全部置いてきて生きてるわたしの先駆者がいるか知りたかったので、ちょっと求めていた答えと趣旨はずれているんですけど、実際に書類上死んでやり直すというのも死を介してやり直すという点においては同じだなと思い、この本を手に取ってみました。
星の王子さまとか以外でこういった翻訳された本を読んだのは恐らく初めてだったので読み物として面白く読ませていただきました。
(翻訳者の方のあとがきとかもあるんだ〜という新たな発見もありました。)
ただ、アホなわたしは登場人物が多いのが苦手なもんで、あれ、これ誰の話してるんだろうとか最後の最後に、え、まってこれ、、、作者どっかで名前言ってたっけ!!?(作者の名前なんて表紙に書いてある)と何ページも探してしまうようなバカ丸出しの読み方してしまっていたり、元々文字を読んでいるだけで文章が入ってこないことが多くて何回も同じとこ読んでやっと理解するという悲しき本好きなため読む時間めちゃかかるもんで、いつもと違う日本語(翻訳された日本語ってやっぱちょっと慣れなくて読みにくい)にまたパラパラ戻って、とちょっとリカコには話の内容とは別のところで難易度の高い本ではありましたが笑
死亡偽装に直接関与しない(厳密には動機とかに関与するけれど方法とか事例ではないという意味)部分で印象的な部分がいくつかあって、
死ぬ前、SNSで錯乱したリカコにとって
『我々は、人は常につながっていなければ孤独を感じないだろうと考えている。真実は逆である。一人きりになれないほうが、人はずっと孤独を感じやすくなる』はその通りだと思いましたし、
自分で自分を殺したことにして新しい自分を生きているリカコにとって『…自分を死んだことにしてしまえば、何か別のものとして帰ってこれますからね。』にはリカコがやっていることは"空想"なのだと一刀両断されて苦笑いでした。あとはこれに近くて「死は再生」的なのがアハーンの台詞のどっかにあったんですけど見返してて見つからなかったのでここに書くのは諦めますがすごく残っています。
カヌーマンのところで「カネが嫌いと言えるのは金持ちだけ」『カネは身分と安心を保障する』に激しく頷いたりもしてました笑
こういった本のジャンルが何かわからないんですけど、小説ではないのに、この本のラストの展開は小説的で作者の名前を慌てて探すくらいにちょっとドキドキできるわたしの単純さは本や映画など作品に触れる時だけはみんなより得してるなあと思います。日常生活では「想像力に欠ける使えない人間」という悲しきレッテルを貼られてるんですけどね、はは。
そんなわけで読了したわけですが、読み終わってふと、わたしみたいにわかりやすいきっかけがない人はどうやってこの本に辿り着いて、どんな感想を抱いたのか、めちゃくちゃ気になりました。
わたしの場合、まあ他人から見たらちょっと変な"空想"かもしれませんが、その変な"空想"がきっかけで普段読まなかった本、その"空想"の選択をしていなかったら出逢っていなかったかもしれない本に出逢えてよかったです。