罪を知っていることそれがわかるということ
………私のしたことは穢れている、
罪を犯した、それは知っていたの
ーーでも、ダメだった
罪だと知っているだけでーー
ーーどうしてそれが
悪いことなのか、わからないの
鏡の中にいるわたしをぼんやり見つめて
レイチェルの言葉を反芻していた
レイはフィクションの世界だけど
その言葉はわたしにとって現実だった
死んだ彼女に押し付けるつもりはないけど
彼女は罪の意識すらなかった、と思う
でも彼女が死んでからわかった
ああ、道徳的に悪いことなんだな、と。
でも共感できなかった。
共感力の高いわたしなのに。
人は経験のないことは共感できない。
共感できると言っていたとしたらそれはきっと、同じ気持ちを想像しているだけだ。
でも人間みんな似た経験はできても同じ経験なんてしない。
だから想像力の乏しい人間は冷たいし、共感力のある人間からしたら意味のわからない言動をする。
でも結局想像力というのは経験値だ。
いかにいろんな経験をするかでその記憶と記憶の組み合わせで微妙な感情の変化の引き出しをいくつ持っているか、ただそういう話なんだと思う。
だから、レイチェルが人を殺すことを罪だと聖書を読んで学んだけれど
それを悪いことだと想像するに至る経験値を持ち合わせていなかった
だって彼女はひとりぼっちで最後まで父親に銃口を向けられたから
愛する人との子供が欲しいと切望する人でさえ
どうでもいい女に欲望を発散するのだ
過去は変えられないし別に変わらなくていいと思っている
意識的にとられた物理的な距離ですごく卑しい女だと思われてることを直感したし
壊れてる部分以外はとても繊細だから不快な気持ちをビシビシとキャッチしていた
その場をすぐに立ち去った
わたしはとても図々しい女なんだ
そう何度も何度も思うのに
どんなに想像しても
あの物理的な距離の意味を本質的に理解できない
どんなに想像しても自分を大切に想ってる特定の人がいることも想像できないし
それが想像できないからその人が自分ではない人の元で愛のない性行為をしたことを知った時の感情がどんなにどんなにどんなに考えてもわからない
泣きたいのはきっとわたしじゃないのに泣きそうになる
怒れるってことは愛されるを知ってるからじゃないのかな、
わたしが人として間違ってることはわかる
だけど罪の重さがわからない
神様は罪の重さを理解させるために彼女とわたしに愛を提供することを諦めたのかもしれない
代わりに別の形でわたしがしたことの不快さを伝えてきた
鏡の向こう側の彼女の髪の毛にべったりと歯磨き粉が付いていた
仕事中はおろか、帰宅してシャワーを浴びてもギシギシ感が抜けなかったという
人の心に己の汚い穢れた心で塗りつけた泥のいかに醜く粘着質なことか、やっぱり罪の本質まではわからなかったけれど不快な気持ちだけは少しわかった