どうもこんにちは。リカコです☺︎
早速ですが、本日はこちら。
以前から音楽、ドラマ、バラエティ、様々な場所で活躍する星野さんのことを知っていましたし、その全ての作品が視聴者として好きでしたが、先日、あちこちオードリーにゲスト出演されてお話しされてるのを視聴していて、「化物」をしっかりと聴いてみて、他の曲も歌詞を見てしっかりと聴いてみると……
星野さんも(感覚が)こちら側か…?
そう思ったことと
以前友人が星野源さんのエッセイに、お金を払った感じを忘れないため?だったかな、とにかくカードは使わない、現金を使う、だからよく光熱費を払い忘れて止まる、みたいな話をしていて、リカコちゃんもよかったら星野源のエッセイ読んでみて。
と言われてたのが心の中になんとなくずっとあったので
あちこちの配信を見た次の日に立ち寄った本屋で購入しました。
本のタイトルさえ調べずに「星野源、星野源…」と作者名で探していたので、エッセイを何冊出されているのか、そもそも今も本屋さんに売ってるのかわからないまま探しましたがもう11版になって店頭に並んでいました。
調べずに購入したので、友人が言っていた現金のお話はありませんでしたが、あちこちでお話しされていた内容も含まれていて、本人もおっしゃっていたようにポップな曲のイメージやくっしゃっとした笑顔と女性人気のイメージ(いつだったか父がインスツルメントバンド時代のイメージだから今の星野源の世間のイメージ不思議だなあみたいなこと言っててなんとなくポップな人ではないんだろうなーとは思っていましたが)の内側には様々な想いがあって、それを星野さんの表現で書かれている、そんなエッセイでした。
あと、こっち側って思ってしまった自分が少し恥ずかしくなりました笑
うまく表現できませんが、星野さんはそういうカテゴライズされる次元から、相当な努力で解放されているというか、ある程度世間(という言い方が正しいかもわからないけれど)との距離感というか調整が取れるようになった上でちゃんと自分の人生を自分でコントロールされている、一歩とかじゃなくて一次元しっかり踏み締めてる方なんだなあという印象でした。
だから彼はわたしみたいな文章は書かないでしょう。
それは、彼が良しとする文章が自己満足のわかりにくい文章を書くことではないから、ということだけではなく、彼のエッセイは共通して、こうまっすぐというか、ポジティブとは少し違くて、うまく形容できないんですけど、ああ、パンサー向井さんの言葉を借りると「光で構えてる感じ」、がしたからで
誰かのすてきなところを書いている文章が特にそれで
ご結婚された後に読んでいるわたしは
「新垣結衣という人」
がもう素敵すぎる恋文に見えて
わたしはこのブログでゲロみたいなことばっかり書いて、人のことをとんでもない角度でしか見れないクソ女ぶりなのに
こんなふうに誰かのことをまっすぐ見て
こんなにも素直にそれを文字に起こせる人がいるのかと
端的ですけど、「嗚呼、素敵」と思いました。
わたしは自分の感覚が世間のどこにも当てはまらなくて、型にはまれないことが不安で辛くて生きづらかった時に若林さんのナナメの夕暮れに出逢って、やっと自分のはまれる型を見つけたと思ったのですが、
星野さんのこのエッセイを読んで
当たり前なんですけど、全く同じ考え方、感性の人間はいなくて、同じような悩み方苦しみ方をしていた人でさえも、どこに向かっていくか、その後どうなるかは本当にそれぞれなんだなとグッと感じさせられる一冊でした。
これはわたし自身の背景と読む前の前提があっての感想だとは思いますが。
星野さんの音楽は以前から好きですし
好きな作品によく星野さんが出演されていたりしますが
このエッセイを読んで、大勢多数のテレビの中のわりと好きな人、ではなく
『星野源さん』を前よりも好きになりました。
友人が言ってた現金の話のエッセイを見つけたらまた読んでみたいなと思います。