不器用リカコの書きたい人生

20代リカコが書きたいことを書きたいままに書くだけのブログです。

鈍感な世界に生きる敏感な人たち

どうもこんにちは。リカコです☺︎

 

職場でうまく立ち回れなくて

毎日風呂場で奇声を上げるようになり

眠れなくなり、もう辞めるしかないと思った果てに気がついたら仕事中泣いていて

上司に解決してもらった事件、月曜日事件があってから

わたしの「話を適当に流すスキルがないこと」「コミュニケーション能力の欠如」「社会不適合性」が招いた事件だったなと思い、改善すべく4冊本を買いました。

 

その一冊。

 

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↓この記事に紹介されており、読みたい本リストに入れていたのでこの機会に購入いたしました。

HSPによる罪悪感、イライラの改善方法とは-『鈍感な世界に生きる 敏感な人たち』イルセ・サン

 

読んでいて所々苦しくなったり、感情がぐわっと高まって泣いてしまったりしたので一気に読めず少々時間がかかりました。

 

前置きとして、今回は本の感想からはちょっと離れてしまうかも。

 

中学生の時からグループに属したいのにグループに属していられないことで、うまく友達が作れない自分が嫌になり、高校でも単体ではみんな話せるのにグループ的な集まりになると何かうまく立ち回れず、現代のLINEグループの変な名前の集まりに違和感を感じ、なのに本当はみんなと同じになりたくてなれない自分に落胆し続けてきました。

 

また、よく「考えすぎ」と言われ、考えすぎなのか、なんで自分はもっと物事を軽く捉えられないのだろうと思っていましたが、でもある時私にとってそれは「考えすぎ」ではなく「通常のこと」であり、一つの物事に対して感じることが「考えすぎ」と言う人と比べて多かったり深いだけで、それは身長の高低と同じように多少の環境要因と多くの遺伝的要因で持ったただの特徴なのだと気がつきました。

 

ただ、自分では気がついても自分の周りのそれを共感してくれるごく一部の友人がいるだけで

自分が生き方の上手い他の大勢多数と比べて異なること=劣っていることという考えはいつまで経っても払拭されませんでした。

 

そんなときに自分は異端なのではなく、HSPと定義付けされることで今までにない安心感と納得感を得られました。

Highly Sensitive Person - 不器用リカコの書きたい人生

 

ですが、メディアでHSPが出たことにより

「あの人が繊細なわけw」とか「私はHSPだからこういうことができないのは仕方ないこと、」とHSPを免罪符に発言している人が多く目に映るようになり、HSPなんて十字架背負うことでまた石を投げられる、と自分がHSPであることでまた不安定になり、外では発言しないようにしようと思い、このブログのカテゴリもしばらく使ってませんでした。

 

またHSPであることを認めたくなくなってしまった理由はもう一つあって

それはきっと今まで生きづらいと思っていたHSPを救おうとしての「君たちはそのままで良い」という言葉の数々なのだと頭ではわかっているのですが

何故かSNSや著書に書かれるHSPは繊細であるが故に素晴らしい才能を持っている、そう書かれているのです。

 

私は確かにこれらの本に書かれているように人よりも繊細と呼ばれる感覚を持っていると自覚しています。

ただ、わたしにはそんなクリエイティブな才能もないし、人より出来ないことが多いのは本当にHSPだからなのでしょうか?

ただ単にわたしにその能力がないからだけなのではないでしょうか?

どうしてHSPを高尚なものにしようとするのでしょうか?

 

HSP+才能を持った人たちが特別なだけで

単にHSPな者は特別でもなんでもなく、やはりこの社会では生きづらい存在なのではないでしょうか?

それはもちろんHSPが悪いのではなく、そういう社会の仕組みだからです。

全員が救われる世界はないのです。だから多数決がありより大勢が救われるように世界は動いていくわけです。それが進化であり淘汰であり自然現象でもあるのでしょう。

でも幸か不幸か人間に生まれたことで私たちの人間界ではマイノリティでも生きて良いことになっています。

 

私はHSPという言葉が重荷になりました。

何故ならHSPという言葉の中に「繊細“だけど"他の人にはない能力がある」という出来ないことがあるのだから有能でなければならないという枷がたくさんついてしまったからです。

 

正直解放されたいです。

 

ですが、自分の中の感受性の高さを嫌いになりたくありません。

これを嫌いになってしまったら、私は本当に嫌なものの塊でしかない人間になってしまいます。

 

だからこれからもHSPについての著者を読んでもっと私自身の理解を深めたいと思っています。

この本はその一つの足掛かりでした。

 

自己肯定感の低さ

 

この本でもそれは課題とされていました。

自分という主観を客観的に認識して正しく(他者と同様に贔屓目無しに)評価するというのはとても難しいことです。

 

でもこれが出来ないと私は永遠に苦しい世界で生きなければならないし、今回の月曜事件みたいなことを起こし続けてしまうでしょうから、向き合い続けなければいけないのだなと思います。

 

吐きそうです笑

 

ではまた。