こんにちはあるいはこんばんは。
黄昏時じゃないのにこんな挨拶するどうもリカコです☺︎
昨日買ってきた追加のeneloopを充電していて、子供のときすごく欲しかった充電電池のいろんなタイプを手に入れたなあとふと思いました。
最近、会社でインサートカップを使わないでマイマグを導入しました。
My favなMugで珈琲を飲むとインサートで飲むよりちょっとだけ幸福度が高くなる気がします。
自分でご飯を作って食べると幸福度が増す話と同じ類かもしれません。買ってきたサラダでもお皿に移し替えて食べるだけでそのまま食べるより美味しく感じるらしいです。
人間、いや脳って不思議。
どんなに辛い気持ちも脳に働きかければ良質な健忘でいろいろ適度に忘れさせてくれてるおかげで平穏な日々を過ごせています。
それましたが、マグカップより前には会社の割り箸からmy箸🥢、myスプーン🥄フォークを導入。
eneloopに戻って、子供の頃からディスポよりリユーザブルなものが好きなのは、ガスマスクをつけて生活する未来からやってきた大人リカコが2000年代に生きるこどもリカコの元にやってきて、地球を大切に🌏みたいなこどもちゃれんじの漫画でなんとなくエコ意識の植え付けが成功しているのだとずっと思っていたのですが(先日もマシンガンズ滝沢氏のしくじり授業みてペットボトルのラベル剥がさない奴ふぁxくとか思ったりしてたから)、もしかしてわたしが好きなのは『エコ』ではなく、『りゆーざぶる』、こっちなのではないかしら、とふと思ったわけです。
じゃあ、使い捨てと繰り返し使うことで変わるのは何か。
モノへの愛着です。
そしてMy〇〇といわれるように、使い捨ての誰のものでもないモノから繰り返し自分だけが使う『わたしのモノ』というこの感覚。
脳がパチパチしてきました・:*+.
どうしてキヨさんの殺戮の天使の実況を何度も見てしまうのか。
好き過ぎて切り抜きでこのシーンを繰り返しみてしまうのはどうしてか。
— リカコ☺︎ (@rikakomerin) 2022年6月18日
"私の"神様
わたしの、、、
パチパチ⸝⁺✧
自転車に、観葉植物に、ぬいぐるみに、名前をつけたがるのも
気に入った服を見つけたらどこにでもそれを着ていくのも
壊れたモノを縫って"私の"モノにするレイチェルに惹かれるのも
全部、独占欲の強さって、こと…・・・?
でも不思議
ひとりっ子で兄弟に取られてたとか
いじめられててわたしのものがなかったとか
親が忙しくてさみしかったとか
そんな過去じゃなくて
思い出すのは父が幼児のわたしに
「弟が妹ほしい?」
と聞いたときに
「いらないっ!!!(だってままとられたくないから)」と強く思ったことだけ。
ということは、20年前から
環境要因ではなく遺伝子レベルで?
ん?ちょっと待てよ。
これを書いててふと思ったことがひとつ。
誰にも取られたくなかったままを唯一とったのは
高校生くらいからわたしの名前を呼ぶときに母さんの名前を間違えて呼ぶようになった、母さんががんになった時に母さんよりもその事実にショックを受けすぎてどうにかなりそうになって当事者より身内に心配されていた、、、父?
ということは
現時点での結論は
誰にも取られたくなかった"わたしの"ままを父に取られたので
まま以外の、何かわたしだけの、"わたしの"〇〇を探し続けてるのかもしれない、ということ?笑
躁でも鬱でもない平穏な気持ちでも
確かに勢いに任せて書くことはできないし衝動が起きないけれど
変なとこで引っかかって考えて書くことは変わらないのかもしれないですね、笑笑
別解が思い浮かぶまでしばしの
おわり☺︎