今日のハチミツ、あしたの私
自分の中で何かあると読みたくなる、読む本。
ここにあげるのは2回目。
読書回数はそれ以上。
読む時々によって寄り添える登場人物や言葉が変わってくる。
家に一度読んだ本はほとんど置いていない。
数少ない家にある本の中の1冊。
主人公の碧と8つくらい離れていた頃にジャケ買いして、気がつけばあと4つで彼女を追い越す。
結婚。出産。育児。老後。それらの言葉を見聞きすると、碧の心はざわつく。
"焦る"とは少し違うざわつく気持ち。
歳ばかりとってみんなわたしを置いて行く。
わたしが自分と対話している間にみんなは他人との対話の中で居場所を見つけてキラキラと見えなくなって行く。
ひとり悩んで自分のことを考えるそんな"思春期"やモラトリムな時期はとうに過ぎたはずなのに。
本音を話せる人もいなくて
友人も知人も同僚もみんな新しい命を繋ぐ準備を進めている。
なんでどうしてこうなった。
脳が熱くなる。薬のせいなのか。
試しに腋窩と額、どちらも体温を測ってみたら額の体温は微熱だった。
何も考えてないのに何もできてないのに何処にも行けないのに使い過ぎた携帯のように熱を帯びてる。
1歳になってないくらいの赤子を
『小さい人』という碧が好きだし作者が素敵だと思った。
どんなに肩書を背負わされてもみんな同じ"人"だ。
薬を飲み始めてから何がそんなに苦しかったのか思い出せなくなった。
ただただ眠い日々が続いている。
友人が言ったようにわたしは話を聞いてくれるカウンセラーの方が必要だったのではないかと思う。
戻り方がわからない。
いや、戻れないのが生きるってことなんだろう。
ならば進み方がわからない。
あんたらがそうやって『傷つきやすいから』とか『弱いから』とか言って甘やかすから、あの男は弱いまんまなの!誰だって傷つくし、誰だって弱いの!けど誰でもみんな現実に向き合って生きてんの!
初めて読んだときは、そのとーり!!!と読みなが凄く頷いた記憶がある。
今はどうか。
わたしが安西なんじゃないかしら。
でも安西と違うのはもう甘やかしてくれる人はいないってこと。
傷ついてる人間、弱い人間は、社会では邪魔だから無視するのが一番。
無視されないために、居場所を作るためには碧みたいに強さをつけないといけないし、弱いままでは生きられない。
立ち上がらなければ何度転んでも。
副作用で体重増加が書いてあったけど、体重は減った。そして吐いたし、仕事中にえずいて個室で涙目になった。
だけど負けていられない、今いちばんわたしの足を引っ張っているのはわたし以外他ならない。
弱いままでいい、逃げてもいい、そのままでいい。世界に優しい言葉が溢れるようになった。
でも言葉をかけるだけでその人の人生に責任を持てる人がいるのだろうか。いないのだ。
自分の人生は自分以外に決められないし責任も自分にしかない。
メモのいちばん上に、とりあえずごはんを食べる、と書いた。