どうもリカコです。
今回もウォンちゃんシリーズ、なのですが、
私事ですが、彼とは既に恋人関係は破断していたのですが
なんやかんやで連絡を取り合い
お互い職場が変わってからは月1程度で会っていたのですが、
もうリカコの古参はいないでしょうから伝わらないとは思うのですが
これはいわゆる都合のいい関係、もっと嫌な言い方をすればセフ……
そういうものから解放してくれた彼とそういう関係になるのだけは避けたくて
じゃあなんで別れたとかそこら辺について書いていると優に4000文字くらいは越えてしまいそうなので割愛しますが、とにかく名前のある関係に戻るか
もう終わりにしようと持ち掛けたところ
「今は戻る気はない、でも振っているわけでもない。」
とまあ色恋キャバ嬢みたいなことを言われたので
泣く泣く二回目の失恋(ちなみに一回目はお互い精神状態が終わって突き飛ばされてケガをしたので警察を呼んで「暴力振るう男とは一緒にいられない」と言ってわたしから別れを切り出していますが。)をし、
今は30歳目前にしてまた恋愛的にはひとりぼっちになりました。
置いてった本は読むし、貸してるお金も回収しますが。笑
本編に全く関係ない前置きでしたが、改めて今回はこちら。
実はまた余談なんですが、この本を読む前にとある別の本を読んでいたのですが
正直前からSNS等で胡散臭いなあと思っていた著書でした。
ですがウォンバットシリーズは基本的に自分では選ばない本との出会いなので
食わず嫌いせず読んでみたのですがこれがとんでもない!
自分に合う合わないの問題ではなく、ここでわたしが感想を書いた著作たちも含めた世の中の作品のいろんなものがパクリにパクられ、わたしが好きなキャラクターのセリフまで
さも自分の言葉のように書かれていたのを最後に悔しさで涙を流しながら本を閉じ、作品や作者への敬意のない作者に憤りを感じてやはり他人の感性で選ばれた本はこういったリスクがあるかも…と警戒モードに入りつつも
今回の本はわたし自身メモは普段からよくする方なのでタイトルが興味深いと思い、
このブログにも記録したくない黒歴史パクリ本のことは忘れて気を取り直して読み始めました。
結論から言うと
読み始めと読了後で本書の著者への興味とリスペクトが変わったし
リカコ自身の自己分析の解像度についても捉え方が変化しました。
冒頭で著者は自身が取りつかれたようにメモを取っている事実を書いていました。
正直この辺では、確かに一般的な人は芸人さん、アーティスト、文章を書いたり
トークを定期的にしなけらばいけない職種等でない限り
なかなか日常生活の中でメモをゴリゴリ取ることはないだろうけれど
リカコはやらなきゃいけないことや忘れてはいけないことの他に
気づいたことや面白かったり悲しかったり心の変化や環境の違和感など普通にメモを取る行為を日常的に行っているし、
この本の感想についても読みながら下書きの状態のページに書いてあったことや気になったページ、それを読んで自分が感じたことや思い出したエピソード等をメモを取りながら読んでいるので、
「はいはい。自己啓発本的な当たり前のことを特別にいう系、もしくはわたしは既に当たり前にやっていることだからうんうん、出共感する系ね。」と思いながら
ページをめくっていました。
リカコ、、、うざいですねw
またメモを取ることは「人生のコンパス」を手に入れるための強いツールになるとも。
何度も言いますが、この辺の冒頭では「はいはい。就活のときから自己分析のための講座なんかに出ているみんなは今までの人生で自分との会話をやってきてないなんてそんなことある?毎日毎日自分と対話ばかりしていて今更なんだけどw」くらいに心の中で(当時は口にも出していた記憶も…。なんやこの嫌な奴はw)
思うくらい、まあこのブログもその一部というか半自動的に自己分析を日々行っている身としては、これからの人生軸(抽象的な方針的なもの、人生の選択に迷ったときに選択肢を決めるベースになるもの)は自分の中にあって
あーまたこういう系かあ、悪い本ではないけど正直今のわたしには
肩透かしかもなあ…と
一個前のパクリ本のせいで期待もしていなかったけど
ちょっと残念な気持ちで、でもメモをたくさん取っている方だからなのか
簡単すぎず難しすぎない心地良い文章のおかげでひとまず読んでみようという気持ちは
なくさないまままたページをめくりました。
こういう嫌な奴マインドで読み進めていたせいで
(今これを書きながら一度覚えた先入観を強めて相手や物事と接するのはリカコの非常に残念な良くない点だなと悔い改めています。。)
クライアントとの食事の最中であっても
自分が気になったところでちょっといいですかとメモをし出すと
相手もうれしいという一節に、
「いやいや、話の最中にメモ取られるのちょっと嫌やないか?w」と
まあこれはほんと人によるので空気を読むという別スキルも必要かもしれないけれど
まだこの段階でリカコはこの大量のメモ癖の行き着く先がイマイチ見えていませんでした。
しかし、読み進めると具体的なメモの取り方に移っていきました。
著者と同様、学生の頃からノートをまとめるのが好きで
この方の異様なこだわりやマイルールに基づくメモ方法が自分と会う合わないよりももっと根本的なところで何か通ずるもの、シンパシーを感じてきて
さらに後半にもまた書くのですが、
事実をいわゆるメモる「具体」が一般的に言われるメモですが、
その先の事実を「抽象化」して別の事実に「転用」するというところまでを
込めてこの著者は「メモをとる」としている、ということを
少しずつ言葉を変え、例えを変え、視点を変えて一冊の本で説明してくれているのが、
何かを学ぶときの何もわからない0地点から徐々に徐々に知識がついて
その基礎知識を基に応用していく感覚を久しぶりに感じられて
いつの間にか読み進めるのが楽しくなっていました。
まさに一種のこの方の『メモの魔力』です。
本書にも著者にも興味が湧いてきたところで
著者が抽象化についてより深く理解するために下記の本を紹介していました。
興味深いのでここに「メモ」しておきます。
著者曰く、言語化が上手な人の共通する条件の一つに「抽象的な概念に名前を付ける力が高いこと」とありました。
わたしは最近は年を重ねて減ってきましたが
若いころは特に「この現象、この気持ちなんて表すんだろう」ということが多く
この抽象的な概念に名前が付くことで見えない心の動きなどが人と共有できる
一つのものとして作用して安心を覚えることが幾度となくありました。
かなり昔の記事ですが、かつての友人が名付けていた『ふれあいポイント』が
その一つです。
わたしはこんなにも文章を書き続けているのに
なんだか言語化が一生上手くない気がしますw
本記事の中でリカコの人生軸は既にあると書きました。
確かに大きな指針はあります。
このブログを書き始めた頃、ずっとこの世界が生きづらかったです。
会社員を辞めてキャバ嬢になって
自分を愛してくれる恋人ができて
自分を好きでお金と時間を使ってくれる指名のお客さまたちができて
やっと自己肯定感が上がって自分を好きになれたかはわからないけれど
少なくとも自分が自分であること、他人と混ざり合わなくても生きていけることを
認めることができました。
それでもなお今度は自分の中の正義がまかり通らない頭のおかしい連中がいるんだという絶望とわからせるために命を賭しても気づかせようとして
躁転していたのかもしれないけれど、死にたいを超えて死んでやろうでODもしてしまいましたが、知識足らずでこの世に舞い戻ってからは
死にたいと思うことはあっても自ら死ぬことは想像の範疇を超えるとんでもないことが起きない限りないでしょう。
そうなれたのも有名無名にかかわらず出会えた全てのもののおかげで
いつか書いた記事にも書いたけど
人が救われるきっかけなんて些細なことで良くて
わたしの人生軸は、自分が意識無意識にかかわらず人にしてもらったり与えてもらえたことを同じように苦しんでる人たちに返したいというところから
『社会に何となく居場所がないと思っている人たちにいろんな生き方が提示できる踏み台になりたい』というものです。
でもここまで読んでくれている方もわかるように
これ、今のところ具体性0ですよね?笑
いやあ~、自分でもね、うすうす感じていたんですよ。
この軸がはっきり見えるようになったのも正直最近環境が変わって
生活スタイルが変わって考える時間ができたから
軸の抽象部分が明確化されたのがそもそも最近なんです!
っていう言い訳もあるのですが(笑)、
本書は前述したようにメモを用いた具体→抽象→転用を繰り返し説いているわけで
人生のコンパスにおける具体的方法まで辿り着けていないリカコは
本書を読んだのを機に抽象→転用へのステップを踏めるかも。
というか進まないと!とケツイしました。
ここで、著者の前田裕二先生、うがった見方をした浅はかなワタクシめを
どうかお許しください<(。_。)>
ブログを書き続けているのも読書をするのも
これもまた今はしなくなってしまったけどお手紙をたくさん書いていたのも
リカコは文字が、言葉が、好きです。
言葉がなくても伝わる関係がどうのこうのっていうこともあるけど
人間でこんなにも知的に言葉を扱えるんだから表現してほしいです。笑
そんな言葉は「言霊」ともいうように自分自身だけではなく、他人の潜在意識にも
潜り込み居続けることがあります。
著者もそのことに言及しており、それについて読んだときに
お久しぶりのホスト夏目くんが言っていた言葉がわたしがキャバ嬢をしているときの
お客さまへの接し方や仕事への営業指針になりました。
本人はもうその意識、忘れちゃった感じもするんですけどね笑
当時のあまり売れてないのに心が腐っていないホストの彼が好きでした。
今も尊敬はしていますが、彼もわたし自身も少し夜職に身を置きすぎてしまったのもあってか多少どこか壊れてしまってはいると思います。
脱線しましたが、今の彼がどうであっても確かに当時の彼の言葉は
わたしの仕事観を形作る一つになったのは確かな事実です。
これだけメモを取って言葉について考えている人、リカコが嫌いなわけありません笑
(もう一度最初のうざい態度を謝罪しますw)
「思い」と「想い」の使い分けを書いているのも
わたしもこの類の使い分けめちゃくちゃやるので
好感度がグングン上がっていきました笑
メモを取ることの先のアイデア創出についての記載の中に
「シャワー中にアイデアが浮かぶ理由」というサブタイトルがありましたが
これめちゃくちゃいつもなんでこんなにシャワー中いろんなこと浮かぶんだろうと思っていたので超スッキリ!!!笑
星野源さんも何かでシャワー中のアイデアか考え事について言及していた気がするんですが思い出せないいいい(; ・`д・´)
ここでまた著者からの本の紹介が。
今回はご自身の本のようで、人生コンパスの根幹について即答できることについて書いた本で
これは人生コンパスについて抽象化で終わっているリカコは
読んでみたい本だなと思いましたのでこちらも「メモ」。
最後まで読んでエピローグで
著者の前田さんは自身の想いについて「重い…と思うかもしれない」と書いていましたが、もちろん人それぞれの尺度があるのでそう思う人もいるのかもしれませんが、
少なくともわたしはこの方の熱量が心地良かったし、この「重い」と表現しているのも
憶測ですが今まで他者と己の想いの違いを天秤にかけられてきたからこそ出る言葉なのではないかなと、わたし自身はそうだったからそれも含めて勝手な親近感を覚えて
読んでよかったなと思いました。
そして、本書は作者の言葉で終わらずSNSで募集した1000人の人生軸の標語が列挙されています。
目を通してみると、本当に千差万別で、ある人の軸とは真反対のことが書かれているという軸の数々で、人の生き方ってそれぞれだとたった一文からでさえ感じるので改めて個々の人生観の違いについて考えさせられました。
繰り返しになりますが、人生軸の抽象化まで30歳になる前にできたわたし自身もなかなか優秀だと思いますが(笑)、これを機にリカコの人生軸をもっと具体的に
どのような形で実施・実践していくのか詰めて
確固たる柱にして次のステップに進んで人生を全力で走り出す一助にしたいと思えた本でした。
今回余計なことも結構書いたので長い!笑
マジ書くのにも時間かかりました笑
では、また次の記事で°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°