不器用リカコの書きたい人生

20代リカコが書きたいことを書きたいままに書くだけのブログです。

オレンジ・アンド・タール

何かのインタビュー記事だったか、ラジオだったか、オードリーの若林さんが解説をしている本がある、ということで読んでみようと手に取った本。


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今回はいつもと違う感想になる、と思う。

 

いきなり余談ですが、わたしは作品に触れた後、気になることがあったら他人の感想や解説を見聞きするクセがあります。

ネットニュースとかTwitterの数文字を見て呟かれた感想と違って少なくともひと通り同じものを読んだり見たりした人が書いてるのでそれが自分の考えと違っても、そういう視点もあるんだなとスッと入ってくるし、どんなに共感できなくても完全に否定する気持ちにならないから。今回もちょっと気になっていくつか見に行きました。

 

結論から言うと本編は理解はできるけど共感はできませんでした。

 

それで感想を見に行ったらいろんな年代のいろんな人が共感と共感できなさを書いていてどっちもわかる(想像できる)な〜と思って今回感想を記録しておこうと思いました。

 

私の信条として好きじゃなかった本の感想は人の目に触れるところに残さない、もしくは好きじゃなかった部分を書かないということがあります。

 

それはどんな本も(本に限らず音楽や映画、作品全般)それを聖書として生きてる読者がいて、それを書き上げた作者がいるから。それを否定されるのがどれだけ嫌なことか知っているから。

 

だからこの感想は否定ではなくただ共感できなかったということなのです。

登場人物たちと近い思考に思えるけど、でもやっぱり違うベクトルで摩擦が起きてる感覚でした笑

 

唯一共感できたのは田村。

 

『…ただ、どっちかにしてくれよ。俺とか先生が探せないくらいのところにいってくれよ、どうせならさ。その甘えが嫌なんだよ、俺は。…』

 

わかるわあ。

 

わたしは自分のことを社会不適合者だと思ってる。

学生時代はグループに属せなかったし、いわゆる一軍バスケ部女界隈に中学の時は陰口ではなく表で悪口言われたし、今でも協調性を長時間保つのが苦手だし、仕事も一個もうまくいかないし。

ただこんなわたしを根本智郎は滑稽だと笑うのだろうと思う。

前述したような社会不適合者だからではない。

社会不適合者なのに必死に社会に溶け込もうとする様を彼は滑稽でなんの意味があって己とはリカコとはなんのために存在してるのかと思うのであろう。

それが許せない笑

根本智郎がトモロウとして生きるのは勝手だが、田村やわたしたちのことを下に見て鼻で笑ってるくせに親の振り込んだ金は使うし妹から借金はするし責任も持たないくせに欲望のままに性欲を満たす様が許せない。

田村は、わたしは、居心地がいいか悪いかは別にしてポマードで髪を固める方を、化粧して笑顔の仮面をつけてピエロになることを選んだのだ。

根本智郎はトモロウでいることを選んでいながら根本智郎を捨ててない。捨ててない上に捨てられないことを根本英吉のせいにしてる。

根本智郎みたいな悩み方ができるのはお金があってある程度の家庭環境で育つことができたある意味恵まれた人間だと思う。

 

感想の中にいくつか自分が学生だったら共感できたかも、というようなものがあった。

わたしは高校生でも大学生でも彼らの根本(こんぽん)には共感できなかったと思う。

 

高校生の時、わたしはピエロでありながら尖り散らしていた笑

当時の友人に母子家庭で再婚相手の義理の父の転勤か何かで転校するから部活も辞めなければいけない、みたいな男子学生がいた。結局彼はなんやかんやで学校も変わらなかったし部活にも戻って来た。そんな彼が苦痛の表情で何かずっと愚痴を言っていたことがある。なんだったか全く覚えてないが、それが癇に障ったのかわたしは彼に『おまえだけが不幸だと思うなよ。』と言ったらしい。彼は泣いたらしい。

全く覚えてないけどそれを聞いても珍しく反省しなかった。なぜなら基準は自分だから。大変だな、可哀想だな、でもそれって。。となった時自分というボーダーよりどうかで共感になるか、田村みたいな感想になるか、なんだろうなあと思う。彼を泣かしてしまったとき、心に余裕があれば、かわいそうだねきみは頑張ってるよと優しい言葉をかけてあげられたんだろうなあとわたしはもう大人だから思う。あと大人だから自分に余裕がなくても暴言は吐かないだろうな。適当な薄っぺらい言って欲しそうな言葉を並べてあとでブログに吐き散らかすんだろうな笑

 

そう考えるとコミ君がナイフで刺した若さのエネルギーもわからなくはない。

 

ただカズキ、コミ君、モリヤ、彼らの「全て意味がない」みたいなこと考えながら頭の中の9割5分性欲みたいな感覚は全く理解できなかった。これは若さなのか。

感想の中に「女だから理解できなかったのかな」みたいのがあったけど、そういうことなのかしら。

カズキたちもトモロウも自分の存在とか社会とか悩んでるだけだったら大いに共感できたのに、結局本能的な部分にフォーカスしてるところが前者の思考と相反してる感じがして、苦しいフリして楽なところに落ち着いてるようにしか見えないから彼らを見ているとイライラするんだろうなあと思った。

 

だから根本智郎が本当に遠くに行ったのならわたしはやっと彼をトモロウさんと認められるのだろうなと思いました。

 

若林さん以外に彼らに共感した人の人生を覗いてみたいな〜って自分には理解できない感情だから知りたくなる一冊でした。

 

そしてきっかけだった若林さんの解説部分はまさしく「解説」でした。

先にも書きましたが、彼らが心でモヤついてることを具現化まではできないけど想像はできるんですけど、彼らが使う表現がなんかよくわからない。たぶんわたしのブログを他人が読んだ時の感覚と同じなんでしょうけど、そのよくわからない表現を若林さんが変換してくれた「解説」って感じでした。

 

今書いてて思ったんですけど、もしかして普段から自分の心のモヤつきを言語化できてる人はこの本がしっくりくるのかも。

逆にわたしは普段感じてることを人が理解できる言葉にのせるのが下手だから、エッセイとか音楽でそういうことなんだよ!と代弁してくれてるようなものにハマるんですよね。

 

そんなわけでいつもとはちがう方面で感情を触発された本でした。

 

人の好きな本って興味深くもあるけど、考え方とか人生観が垣間見えるものでもあり諸刃の剣感あるね。わたしだけですか?笑