不器用リカコの書きたい人生

20代リカコが書きたいことを書きたいままに書くだけのブログです。

タダより怖いものはない

学生の頃、とあるフリマアプリをしていた。

 

きっかけは要らないものが手元にたくさんあるのが嫌だったこと。

捨てるのに罪悪感があったこと。

お金がなかったこと。

 

昔からフリーマーケットに出店している友人家族に少し憧れがあった。

 

一番最初はとても緊張した。

 

最初に掲載したのは某夢の国へお情けで誘ってもらってお揃いで購入したポシェットだった。

あれから夢の国に行くことになるのは7年後の未来の話。

 

見知らぬ相手とネット上でやり取りすることにはある程度慣れていた。

運の良いことにネットでは素敵な人間関係に恵まれていて中国でもてなしてくれた友人や今でも仲の良い友人知人ができた。

なんなら金を騙し取られたのは対面であった男だけだ。その時もネットの民はわたしを姉ということにして警察に行ってもよいと親身になってくれた。今やネットは出会い系は危ないと言われていた時代とは違うのだ。中学生の頃勝手にプロフに写真を載せられた時は激怒したし、その後大人になってもメディアリテラシーをちゃんと学んだわたしは顔出しはなるべくせず、身内だけのsnsに写真を載せる時もきちんと許可を取る弁えた人間なのだ。

ちゃんと学ばないからネットの使い方がみんな下手なんだ、と言うのは余談。戻ります。

 

取引が即決してビビったわたしは包装などが得意な母に不快感のないように包装したい!とお願いをするとやはり得意な母はきれいに梱包してくれた。

 

そこからは慣れたもんで説明文にここまでかというくらい注意書きの保険を添え、梱包も見た目は悪いが中身は傷ついてなければ大体は問題ない。自分でも何回か購入してみて、なるほど、メッセージを添えたりするのだなとかれこれ100件以上の取引をし、必要がなくなったのでやめたがそのフリマサイトからは一生退会できなくなって(問い合わせたがどうにもならない)不要なメールが来続けて困っている。

メディアリテラシーを学んでもこういうことは起こるらしい笑

 

ところでメディアリテラシーじゃなくて、ネットリテラシーがわたしが言いたいことの単語ではないか?

 

で、そんな一生退会できない呪いにかかりながら数年前に取引自体はやめたフリマアプリ。

 

今のわたしはお金が欲しいわけではなかった。

捨てるには綺麗すぎる。

捨てるには早すぎる。

捨てるのにも金がかかる。

でも今のわたしには不要だ。

モノが多すぎるとすごく居心地が悪い。

 

昔、確か銭金でリポーターが「これはどうしたんですか?」と貧乏さんの家にある家具について聞いていくと全て「あ、〇〇でもらいました」と、ことごとくとあるサイト経由で譲ってもらっていてスタジオが盛り上がっていたのがすごく印象的だった。

 

テレビもタダでくれる人がこの世にはいるのか。。

 

学生の頃、観たいテレビ番組を録画するのに父親の許可が必要でそれが嫌で(というかオタクの見たい容量なんて一般人の理解の範疇を超えてるので全部頼めないし泣きの一本を頼むのもすごくすごく大変だったのだ…)銭金のことを思い出してテレビを検索してみたが安くても機能が揃ってれば数万円、学生で数万円はなかった。

 

そんな記憶を辿って何気なく投稿してみた。

1週間以内に反応がなければ潔くシールを貼って手を合わせよう…

 

驚いた。

1時間もしないうちに取引成立。

 

自分で出品しておきながら、新品で買ってもそこまで高くはない中古品、なぜ欲しいんだろうと思った。

調子に乗って何品か出してみたが即決だった。

 

多分「タダ」だからだと思う。

 

最初はわたしからタダでもらって他で売るのかと思ったが、どうやら取引いただいた皆さんはそんな感じではなかった。

 

わたしはぶつくさいつも書き殴ってるが表向きはちゃんとしている。

すごく丁寧に対応するし、タダとはいえこちらは「要らない」ものを引き取らせてしまう罪悪感で「取りにこいよ、オラ」とはならず「こちらからお渡ししに行きますよ〜」とわざわざこちらから行く。控えめに言ってもかなり親切だと思う。

 

でも「タダ」っていうのは対価を与えてないから相手(今回で言えばわたし)に責任を与えないということでもある。

 

それでいて低評価をつけたりするのは甚だおかしな話だが。

 

さて『タダより怖いものはない』。

 

誰にとってでしょうね?