どもる体
『だだだだだだだ大丈夫ですっ!笑』
!?
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どうもこんにちは。リカコです☺︎
ある時、電話口で先輩がわたしの真似"?をした。
このとき"指摘"されて初めてわたしは自分のこういう喋り方を意識した。
それまで全く自分の喋りにこういう側面が無いと思っていたわけではない。
その証拠に、それを意識したことのない人が知らない(その人が純粋または無知すぎただけかもしれないが)、『どもり』という言葉をわたしは知っていた。
思い返してみればバイト先でもよくあった。
ただ家族や気の置けない友人の前では出たことがない。だから25歳の今のいままで強く意識したことはなかった。わたしは人の耳に引っかかる程度には『どもっている』のだと。
でも、『どもり』と『吃音』は全く別の世界のものだと思っていた。どもりは吃りだった。わたしもまた、無知だったのだ。
HSP気質も相まってか、
先輩の電話からよくぐるぐる先生に聞くようになった。
[ どもる ]
ただその一言だけを小さな画面に打ち込んで俯いた。
メモによると6月頃。
一番荒れてた時期じゃん笑
相変わらず時の運はあまり良くない方のようだ笑
そうこうしてみつけたのがこの本、
3ヶ月以上ずっと気になっていてやっと読めました。
読んでいて、冒頭の症状は「連発」と呼ばれる物だと知りました。
吃音症で子どもの時からそれを指摘されてきた方たちは「連発」という(その方々にとって)自然な状態を社会では指摘されてしまうが為に「難発」や「言い換え」、その他様々な工夫をして吃音症と社会とそしてアイデンティティと向き合っている、いや、向き合わざるを得ない。
あれ、わたし、ポンコツな上に話し方さえもおかしいのかな…
と悩む前にこの本を読めて本当に良かったです。
もちろん吃り(連発)、吃音症についての分析もなるほどでしたし面白かったのですが
それ以上に吃音回避のための工夫の捉え方が人によって違う、つまりアイデンティティの捉え方が千差万別であることにもフォーカスしている点がかなり良かったです。
終盤にかけて、わたしはわたしをどう捉えているか、
よくわたしはこのブログでも「乗っ取られている」かの如く彼女としているいわばもう一人の自分が書き殴ってる時やそれを俯瞰してるからこそ「彼女」という表現を用いてるんですけど、じゃあ「彼女」は貴方にとって"本当の自分"ではないということですか?と言われれば、いえ、彼女もまたわたしであり彼女を俯瞰するわたしもまたわたしです。と答えるなあとあまり考えたことのないことを考えました。
この本の方々のような工夫をしないと日常生活に支障をきたすほどの吃音症状はわたしにはありません。
せいぜい電話口でいじられてしまう、心の中で聞き取りにくいなと思わせてしまう程度でしょう(それが社会生活における人間関係の形成の支障という考え方もできますが、それ以前に人間関係の形成において劣っているのでその範疇と考えます)。
だから、「すすすすすすすみません。」とか「だだだだだだだだだ大丈夫ですか?」と言ってしまう自分もわたしにとっては自分だなあというのがわたしのアイデンティティなんだなあと。
「本当の自分」という概念がわたしには無いのかもしれないです。
他にも自己についての捉え方ってそれこそ千差万別だと思いますが皆さんはどうですか?
あとあとがき。
まあこれはあえて書きませんがわたしはぐっと引き込まれてしまい、作者さんにしてやられたり(笑)って感じでした。
わたし自身の連発については(指摘されたことで気が付いてしまったので)意識せざるを得なくなってしまったので、じゃあ、ということで分析するようになったところ発動条件(相手・状況・心理状態)がやっぱり限られていることは発見できました。
でもまあ、この連発、不思議なことに再現しようとするとうまくできなくて、本にもありましたが放置してると楽なのでとりあえずこのままでいいやと思っています、笑
ただ不幸にも気が付いてしまったことで俯瞰で「あ、止まらない笑 2音目遠い、そしてまたこの人・この状況笑」という俯瞰の自分が現れるようになってしまったのが若干弊害にはなっていますが、まあいいでしょう、笑
途中、わたしがバカすぎるのと久しぶりの心理学がちょこちょこあったので3、4回文字をなぞったところもありつつ(笑)、かなりおもしろい本をベストタイミングで読めて満足です。
おわり☺︎