不器用リカコの書きたい人生

20代リカコが書きたいことを書きたいままに書くだけのブログです。

最近

どうもリカコです。

 

最近思うことはたくさんあるのに

まあTwitterやインスタやストーリーに気持ちを書き殴ってみたりして投稿してすぐあるいは投稿のボタンを押す前に

「どーせまた頭のおかしい奴だと思われて誰にも理解されない感情ならば晒す必要あるのだろうか。何回も何回も揉み直して言葉にしてみたことでわたしは自分の気持ちを理解できたからもういいや、」ってなって終わることが多くて

感情はたくさん動いてるし書きたい人生なのは変わらないけどタイトルを書いて書くまでに至らなくてだから今日は「この気持ちはなんだろ〜♪」(合唱の曲にあるんですけど知ってる方います?笑)な気持ちでただひたすらに帰り道に携帯の画面に視線を落とす作業をします。ただの記憶の記録。

 

最近、高校の時のクラスの人同士が結婚して、結婚式は身内だけでやったらしくその時の担任のサプライズでクラスの人を集めて飲み会みたいのが開かれた。ありがたいことにわたしも声をかけてもらった(一応クラスで連絡つく人はみんなに連絡くれてらからほぼ全員だけどそれってすごいことだよね)

でもすごく迷った。次の日仕事だから、というのもあったけど、そうじゃなくて、「わたし行く必要なくないか?」っていう気持ちがすごくあった。もちろん主人公は結婚した2人で、みんながわたしに会いたいか会いたくないかは関係なくて、でもじゃあわたしに新郎新婦は会いたいか?って別にいてもいなくても同じだろうなと思った。でも記憶の中のわたしが、高校生の時のわたしがありがとうの気持ちをすごく持ってたからその気持ちだけで行くことにした。

当日は目立たないようにしよう。おめでとうの気持ちだけ持ってそっとその場の空気になろうって。

 

最悪なことにその週は人間に会いたくない、働きたくない、上司と話したくない、そんな気持ちでいっぱいだった。

帰宅した瞬間からずっと帰りたいに苛まれていた。部屋も荒れまくっていた。正直最近も部屋は荒れている笑

 

当日、洋服買って美容院行って可愛くなってから行く予定だった。

目が覚めたら何もできない時間だった。

急ぎ目に身支度をして実家に荷物を置いて飲み屋に向かった。

死んだ顔をしていた。

Twitterを唯一知ってる友人は大丈夫?と尋ねてくれたけど大丈夫じゃなかった。

でもおめでたい空気の中、わたしの存在は癌でしかない。なるべく端っこにいたかった。

 

吹奏楽部の彼の隣は申し訳なくて座りたくなかったけど、もうそこ以外は新郎新婦側の席だった。ゴミのわたしが座っていい席はどこにもなかった。既に泣きそうだった。彼は

「リカコ、ここ座れよ」って隣を促してくれた、わたしにはなんやかんやで会えてるから彼には今日はたくさんいつも会えない人との時間に使って欲しかったのに壁とわたしの隣でごめんってなった。そんなようなことを彼に言ったら「何言ってんだよw」って笑ってて乾杯した後少ししたら色んな人のとこ回ってたからホッとした。

 

みんな「今何してるの?」とかそんな話ばかり。興味ないくせにって思ってしまった。

別に恋愛の話なんて今興味ないしそうなると話すことなんかない。だって、わたしには今仕事しかない。あとは一人暮らしの日常を楽しんでいること。でもそれ、誰が興味ある?笑

土日の晴れた日に洗濯するのが好きなこと、台所汚れるのダイキライで週一でゴタク外して水回り掃除してること、仕事帰りにうちの周りのラーメン屋開拓してること、誰が興味ある?

 

彼氏ってセックス する以外に何するの?ってそこまで落ちたわたしと話す恋愛の話ってある?

 

結婚だけがしあわせじゃないと思ってるわたしにおめでとうっていう権利はある?

 

でもおめでとうは本当に思ってた。

だってあの飲み会の後楽しかったねえって楽しい気持ちのまま一緒に同じ家に帰れるってあったかくていいなって。

 

恋人だって欲しくないわけじゃないし結婚だってしてみたいし子供だって欲しいし家庭だって築いてみたい。

でも今じゃない。

でも今じゃないって今言ってたら一生できないって目で見られる。

なんで?

 

自分のお金でちゃんと生活してることを楽しんでることの何が悪いのかわからない。

無条件にかわいいね可愛いねって言ってくれる人がそばにいる人にはわかんないよ、

母親のこと好きだけど遠くにいた方が幸せなんだろうって思う娘の気持ちなんてずっとあったかい中にいる人にはわかんないよ、

お金がないのに一人暮らしするなんてダメだろっていう会社の補助で一人暮らししてる人にはわかんないよ、

 

なんかもうみんな嫌いだった

 

高校の同期が、ではなく、なんかしあわせを纏っててわたしの幸せとか価値観を無意識に踏みにじる全ての人類が嫌いだった

 

明日仕事だから、おめでとうってちゃんと伝えて先に帰った。なるべく目立たないように。

 

でも。彼だけは追いかけてきてくれた。相変わらずいい奴だし、追いかけてくれたなんて言い方しちゃうわたしはかまってちゃんって言われても仕方ないのかな、とかも思った。

「リカコに会う度にああちゃんと生きててくれて良かったって思うよ」って言われた。

 

なんか昨日友人も言ってたんだけど

そういうことちゃんと言葉にしてくれる人って有難い。泣きそうだった。

 

それで帰りに思った。

 

もうみんなと会うことはしばらくないだろうなって。

 

特に会っても何も起きなかった。

起こすつもりがなかったからだろうね。

 

学校ってさ、名簿があるからみんなの分の座席もあるわけ。でもさ、卒業して残ってる座席って、いったいどれくらいなのかな。少なくともわたしの座席はもうなかったよ。ある意味では正しいと思ってるけどね、だってもう卒業したんだ。あの時のあの時間とあの気持ちはあの時のわたしとあの時の同級生としか味わえないのに。思い出は思い出でしかないんだもん。正当化してるだけなのかもしれないし、正しいのかもしれない。どっちかは知らない。自分で決めればいいそんなものは。

 

その日来れなかった人に個人的に連絡をとっている。結局わたしは、仕事に関連のある人にしか会おうとできない。最低だ人として。

 

会社に大好きな姐さんがいる。この前なんて書いたっけ。ざーさんって書いた気がするけど、小松さんだな!コウノドリ の小松さん!

小松さんと仕事の後にカフェに行ったんだけど、わたしが大癖女だって話をしたら「でも癖のない人間なんてつまんないじゃない!」っ言ってくれた。うれしかった。わたしつまんなくないんだって安心したから。

 

最近色んな人にわたしは色んな知人がいるねと言われる。

間違ってはいないけど、固定で遊べる友人がいないだけなのだ。

同じ人と会い続けると壊してしまいそうになる。心を許すと全部話してしまう。

わたしの毒気にみんな当てられて死んでいく。離れて行く。だったら最初から触らない距離であれば、ちょっと風邪ひいたかなって思ってもその原因がわたしって気がつかないくらいの期間あければバレないからヤバいやつだって。

そんなんだから辛いなって思った時に相談できる人がいなくなってしまった、ああ、こういう時恋人ってカテゴライズは便利に使いあえるのかなって本気で思った、ゴミでしょ?

1人なことは悲しくないけど、1人だという事実は確かにあるんだなあってぼんやり思った。辛くても悩んでも楽しくても一人で消化するのだ。

 

高校の時の他人に対してのおめでとう!やうれしい!よかったね!は本心だった。

もちろん今もそれは変わらない。

 

ただ、わたしが触れてはいけないものがどんどん増えて行く。

わたしがその言葉を気持ちを相手に伝えて

誰が喜ぶのだろうか。むしろ嫌味やそれが得られない可愛そうな人間からの皮肉と捉えられるのでは?

怖くて発言できないし、気持ちを発散させないと生きていけないわたしは近づいたら色んな形で表現してしまう、だったら最初からいろんなものに参加したくなかった。

嘘は苦手だ。適当に合わせて笑ってることほど気持ちの悪いことはない。

 

最近、上司ともうまくいかない。

勝手にわたしに期待してポンコツなのわかってきて勝手にガッカリされてもわたしは最初からこんな感じでこれ以上のスペックは出ないんだから、そんなものに定格電源以上の電気入れても最大出力超えてショートする。こわい。話したくない。こわい。そんな気持ちが出てしまってもっと気まずい。

 

小松さんに話して少し楽になった。

わたしがとんでもない妄想妄言で喋ってるかもしれないってちょっと落ち着いた。

 

この前初めて営業にでたとき。

営業さんと上司が昔いた女性社員の話をしていた。彼女は彼女が1000%悪いのにいつも泣いていたらしい。営業さんはわけわからんわあって言っていた。上司もそんな人の上司は嫌だなあって言っていた。

もちろんその気持ちは否定しない。

でも、残念ながら、わたしはそういう人なのだ。会社で泣かないだけ。毎日狂ったような気持ちの治まりどころをなんとか探してなんとか社会に溶け込んでるフリをしているだけ。

傷ついた。

営業さんに同意を求められて絞り出すように「そういうかもありますよ…」としか言えなかった。

泣いてばかりいた彼女がこの会社を辞めてよかったと思える人生を今歩んで欲しいと心の底から祈った。

 

他人の気持ちなんて一生かかってもわからないけど、でも、なんか無理だなって思った、人の世界で生きること。

幸にしてわたしには生きててくれてよかったって言ってくれる人も完全にはわからないけどリカコはエライよかわいいよって褒めてくれる友人がいてギリ立ってるだけなのだ。

 

なのにわたしは鬱の友人に「好きな人と一緒に暮らせてて好きな音楽やれててそのために出たったのにお金もなんやかんやで困ってなくて羨ましい。わたしは生きるので精一杯だから仕事を辞めるという選択肢はない。」的な言葉をぶつけてしまった。最低だしクソだけど。本心でもあった。別に傷付けたかったわけじゃなかったし、仕事を辞めるのも休むのも悪だと思ってるわけではないのだ。

薄々感じてたけど最近は辛い時とチケット買って欲しい時しか連絡くれないよな、それで自分の金で学校行って返済してなんとか生きてるわたしにその相談、する?とかって思ってしまった。彼女に救われたことはたくさんたくさんある。だからわたしだって力になりたい、けど。何も捨てないで全て得られるんだったらわたしだって、そうしたいよ………

自分のことで精一杯だった、なんやかんやで助けてもらえる彼女がやっぱり羨ましいと思ってしまった。

 

昨日友人と電話した。

わたしと彼女の違いはたくさんあるけど、決定的な違いって何かあるのだろうか?と考えた。

ないと思う。たまたま色んなことがうまく噛み合って今の仕事させてもらえて大丈夫と大丈夫じゃないを繰り返してることをバレてんのかバレてないのかわかんないレベルでやってて、わたしだっていつ死ぬかわからないんだ。

でも今は、生きたいと思ってる。

 

つまらない人が嫌いだ。

クリスマスだから楽しくしなきゃいけないって、他人の誕生日だろ。

わたしはクリスマスより自分の誕生日の方が好きだ。本心なのに。

そんなこと口にでもだしてみろ。

可哀想な目を向けられる。

つまんないのはそっちなのに。

なんでわたしがつまんないと思われなきゃいけないのだろうか。

 

三月のライオンの新刊を買ったのでそろそろ帰ろう。