彼女、ここでいう彼女はわたしの中の彼女ではない。
友達になれると思った女性の話だ。
彼女が本当のところ、どんなつもりでわたしと連絡を取り始めたのか、もはや知る由もない。
が、
その「〇〇活」とか謎の「セミナー」とか人の心に付け入る感じの話し方をする謎の「先輩」と「主催者」とか、
もし、そういうものだったのなら
なんというか
悲しい。
怒っていたことを高校からの友人に聞いてもらえたから
わたしが怒ってる気持ちをクソだって思わないで肯定してもらえたから
悲しいに変換できた。
彼女のバックグラウンドはわたしと似ていた。
だからこそ、もし本当にわたしに話してくれたことが全部本当だったとしたら。
何と出会うか出会わないか。
それは誰にもわからない。
先日、大学からの友人は「縁に恵まれる」という言葉を好きじゃないと言っていた。
「恵まれる」ということは反対側に「恵まれていない」誰かと比較しているから、と。
わたし自身、この表現をするときその他の才に「恵まれなかった」自分と比較している。
と、その時は説明したが、
いや、やめておこう。
他人と比較するもんではないな。
友人がこの言葉の危うさと友人が感じる気持ち悪さを教えてもらっていてよかった。
ただ、それでもやっぱり、
わたしは自らを「太陽」と言って、感情を搾取する問いをするあのトラウマになる笑顔の「先輩」ではなく、他人との比較ではなく自分自身の愛し方を教えてくれた友人と出会えたことに「恵まれている」と思ってしまう。
ごめん。
3日間、うなされながら昼も夜もたくさん寝た。
寝てしまった。
地に足をついているわたしは間違ってない。
あの人たちの薄らキラキラ笑顔(あくまでリカコの主観)に踏み躙られたわたしの生き方は
わたしが悩み抜いて見つけた道は
間違って、ない………!!!
ちゃんと信じきれなくなったから
3日間塞ぎ込んでしまった、
情けない…
彼らの精神に引き摺り込まれる恐れは微塵もないけれど
でも踏み荒らされて
淡々と耕し直せなかった自分に腹が立つ
明日は
明日からは
しっかり一歩一歩踏ん張って
痛みから目を背けないで
わたしの道をすすむのだ。