今日は朝からとても頭が騒がしいかったので
仕事中もずっと耳栓をしてました。
電話を取ろうとして耳栓外そうとしたら髪の毛が絡まってぶちぶち抜けてしまった。
貴重な髪の毛が…
そういう訳で今も本を読もうと思ったんですけど文字を目で追って頭の中で違うことを喋ってるので永遠に1ページ目を超えられなくて脇にかかえてます。
そういうときどうすればいいか、
検索しようとして
ブログを開きました。
頭の中の声を出し切るしかないのです。
腰が痛い。
覚醒状態は危ない兆候、
気分の波が高くなればなるほど落ちた時の落差がヤバいのは100も承知。
だから耳栓して自分の声に向き合良すぎないようにしました。
今日は余計なことをまたたくさん喋りました。
それは帰って反省ノートに書きます。
最近ノートがありすぎてどれに何を書いてるかわからないですね。
余計なことを喋ってしまう対応として
人と喋らないをしています笑
正確には自分のターンにならないように。
なのに気の置けない方だとつい話してしまう。
本心は聞いてほしくてたまらないからなんでしょう。
なんせわたしにも耳栓とかで無視されてるわけですから。
腰が痛くてイライラしてきました。
電車は「ガタンゴトン」とは言ってないのに
この音を「ガタンゴトン」と教えてこられたからこの音を「ガタンゴトン」と無意識に脳が変換する。
もしかして音階にしか聞こえない人とかもいるのだろうか。
先入観は日常に溢れている。
ところで差がないということを「相違ないです」って書こうと思ってふと踏みとどまって調べてら
相違ないって確かって意味で確かって意味になると差がないとはちょっとニュアンス変わるよね。
そう考えるとわたしが言いたいことのピッタリ合う表現ってなんだろうって考えたり。
実は筆がそんなに乗ってない。
何故なら何か書きたいことがあるんじゃなくて、脳に言うならば膿が溜まってるみたいな感じでザワザワうるさいからとにかく鎮めたいだけで書いてるから。
イライラしてるから外の冷たい風にあたりたい。
腰が痛いのと車内が暑いだけでこんなにイライラするんだから世界はイライラで溢れてるのかもしれない。
そういえば、この前Twitterで子供をお母さんが殺してしまった悲しいニューに対して育児の辛さに子供を殺すなんてあり得ない的なことを書いてる人は子供は一人で家族と暮らしてる的なツイートを見て、案の定その下に連なってるリプの数々はどっちの立場の人からもいろんな言葉が。見ると疲れるし書いてること大体想像できるから特に読まなかったけれど、それを見て
私は母が「殺したくなる気持ちわかる。」って言ったことを思い出す。これはだから悲しかったと言う話じゃなくて殺意が湧くほど精神状態がおかしくなってもなお私は生かされたって嬉しかったんだけどリプ見たらそういう自分が抱いた気持ちまで壊れてしまいそうで見るのやめた。なんか歪んでるのかもしれないけど、歪んでるものを愛したい。みんなが太陽に向かって真っ直ぐ伸びれるわけじゃないし、曲がってまで人の日光当たる面積を奪われることがたくさんある世の中で、
あ、電車降りるから終わりと思ったけど、降りる電車間違えた笑笑
でもイライラしてたからいいや、外の空気少し吸いたい落ち着きたい。